「大丈夫?」
「大丈夫です」
子供からそう返ってきたら、「ああ、大丈夫なんだな」と安心するのが普通でしょう。
でも、子供たちを見ていると、ときどき思います。
本当に大丈夫?
もう少し待つのか。それとも、こちらから手を差し伸べるのか。
長く子供たちを見てきましたが、この判断は今でも難しいと感じます。
▶関連記事:「語らない子供たち①」では、困っていても「……。」と言葉にならない子について書きました。 →「……。」何も言わない子が伝えたかったこと|語らない子供たち ①
「大丈夫です」と言うから、もう少し待ってみる
ロボット教室の授業中、私は教室を回りながら、子供たちの様子を見ています。
順調に製作している子には、なるべく声をかけません。
特に集中しているときは、こちらから話しかけることで、かえって思考を途切れさせてしまうことがあるからです。
でも、さっきから手が止まっている。
何度も同じところを触っている。
どうも困っていそうだな、と思ったら声をかけます。
「どしたん?」
「大丈夫?」
すると、
「大丈夫です」
で、もう少し待ってみます。
自分で考えている途中かもしれません。あと少しで突破できるのかもしれません。
ところが、授業終了まであと5分というころになって、しれっとやってきます。
「先生、分かりません」
「今かいな。あと5分では、先生でも無理やなぁ」
ロボット製作は、分からないところを一つ教えれば、それで完成するとは限りません。
組み直したり、動かして確かめたり、うまくいかなければもう一度考えたりする時間も必要です。
「家で頑張ってみ。アカンかったら持っといで」
そう言って、その日は終わります。
でも、家で続きをしないまま、次の授業を迎えることもあります。
周りの子供たちは、新しいロボットを作り始めています。
そうなると、自分も新しいものを作りたい。
そんなストーリーから、前回のロボットは未完成のまま残ってしまうことがあります。
もちろん、家で続きをしなかった理由は私には分かりません。家庭には家庭の事情がありますし、本人にも理由があるでしょう。
ただ、私が気になるのは、
「できそう」が「できた」まで届かなかったことです。
「ここ、アカンねん」と言える子
一方、ロボットを持ってやってきて、
「先生、ここ、アカンねん」
と言う子もいます。
この「ここ」は、けっこう大事です。
どこが分からないのか自分でも分からず、「先生、でけへん」と丸ごと持ってくるのとは少し違います。
自分でやってみた。
途中までは進んだ。
そして、どこで困っているのかを「ここ」と示して、助けを求めている。
以前の記事で書いた「先生、でけへん」という状態から、一歩進んだ姿とも言えそうです。
▶関連記事:「先生、でけへん」から始まる読む力の育て方|ロボット教室で見えた子供の成長
もちろん、「ここ、アカンねん」と言えたから、何でもすぐに手伝うわけではありません。
「どこがアカンの?」
と聞いてみることもあります。
「そこまで分かったんやったら、ここ、もう一回読んでみ」
で済むこともあります。
少しヒントを出せば、また自分で作り始める子もいます。
先生に全部やってもらうのではなく、必要なところだけ助けを借りて、また自分で進んでいく。
私は、「ここ、アカンねん」と言えることも、一つの成長だと思っています。
助けを求めることも「学ぶ力」
教育心理学では、学習中に困ったとき、人に助けを求めることを「学業的援助要請」と呼びます。
少々いかつい言葉ですが、考え方は難しくありません。
研究では、助けの求め方にも違いがあることが指摘されています。
例えば、自分で問題を解決するために、必要なヒントや説明を求める。
一方で、答えや解決そのものを相手に任せようとする。
あるいは、助けが必要なのに求めようとしない。
同じ「困っている」でも、ずいぶん違います。
「先生、でけへん」と丸ごと渡す。
「ここ、アカンねん」と必要なところを示す。
困っていそうなのに「大丈夫です」と言い続ける。
教室で見てきた子供たちの姿が、ここで少しつながってきます。
自分で考える。
やってみる。
それでも進めなくなったら、必要なところで助けを借りる。
そして、また自分で進む。
こういう力も、子供たちに身につけてほしい力の一つです。
「できそう」を「できた」につなげたい
では、なぜ私はそこまで、助けるタイミングが気になるのでしょう。
やはり、子供たちに「できた」を経験してほしいからです。
「自分でできそう」と思って始めたものを、実際に最後までやり遂げる。
そこには、「できた!」という達成感や喜びがあります。
こうした喜びには脳の報酬系が関わり、その経験が、その後の「もう一回やってみよう」「次もやってみよう」という行動につながることも期待できます。
だから私は、「できそう」をできるだけ「できた」までつなげたい。
さらに心理学では、「自分ならできそうだ」という感覚を「自己効力感」と呼びます。
自己効力感の研究でも、自分自身が実際にやり遂げた経験は、「自分にはできる」という感覚を育む重要な情報源の一つと考えられています。
まずは自分で考え、自分の力でやってみる。
それでも進めなくなったら、必要なところで助けを借りればいい。
助けてもらったところから、また自分で進み、最後は「できた」までたどり着く。
私が助けたいのは、そのためです。
それでも「いつ助けるか」は難しい
ここまで書くと、何となく答えが出たようにも見えます。
でも、現場ではそんなにきれいにはいきません。
「大丈夫です」と言いながら、本当に自分で突破する子もいます。
こちらが余計な声をかけずに待っていてよかった、と思うこともあります。
反対に、「大丈夫です」と言い続け、完成までたどり着けないことが続く子もいます。
初めのころは一人で完成させることもあった。
困ったときには先生に助けを求め、少し手伝ってもらいながら完成させることもできた。
ところが、課題が難しくなるにつれて、「大丈夫です」と言いながら一人で抱え込むことが増えていく。
そんな子も、一人ではありませんでした。
そのたびに考えます。
もう少し待った方がいいのか。
そろそろ声をかけた方がいいのか。
こちらから手を出したら、その子が自分で突破する機会を奪ってしまうかもしれない。
でも、待ちすぎれば、「できた」までたどり着く機会を逃してしまうかもしれない。
長く子供たちを見てきても、いまだに迷います。
たぶん明日の教室でも、私はパトロールしながら、ある子には、
「もうちょっと頑張ってみ」
と言い、別の子には、
「分からんかったら、早よ言いよ」
と言っているのでしょう。
すぐに助けるのでも、いつまでも待つのでもない。
手が動いているか。同じところで止まっていないか。少しずつでも前へ進んでいるか。
「大丈夫です」という言葉だけでなく、子供の様子を見ながら、待つか、声をかけるかを決める。
そして、必要なら、その子がもう一度自分で前へ進めるところまで助ける。
「助けて」と言えることも、自分で前へ進むための力です。
では、その「助けて」をいつまで待つのか。
「大丈夫です」を、どこまで信じて待つのか。
その答えを求めながら子供たちを見ることが、私の教室でのパトロールです。
この記事で紹介した研究・資料
中谷素之・岡田涼
「学業的・社会的領域の目標と学業的援助要請に関する包括的レビュー:援助を求めることは常に最善か?」
『心理学評論』63巻4号、2020年、457–476。
→ J-STAGE
Usher EL, Pajares F
Sources of Self-Efficacy in School: Critical Review of the Literature and Future Directions.
Review of Educational Research, 2008, 78(4), 751–796.
→ SAGE Journals


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