新美南吉の『ごんぎつね』。
小学校の国語で読んだ方も多いでしょう。
私も読みました。
でも、「どんな話だった?」と聞かれると、細かいところまでは覚えていない方も多いのではないでしょうか。
ごんといういたずら好きの狐が、兵十が捕ったうなぎを逃がしてしまう。その後、兵十の母親が亡くなったことを知り、後悔したごんは、償うように栗や松茸を届けるようになる――。
物語そのものを読み返してみたい方は、新美南吉記念館の公式サイトから『ごんぎつね』の本文を読むことができます。
「死んだお母さんを煮ている」?
この『ごんぎつね』をめぐって、以前、私が強く印象に残った記事があります。
作家の石井光太さんが、小学4年生の国語の授業を見学したときのことです。
授業で取り上げられていたのは、兵十の母親の葬式の場面でした。
兵十の家には村の人たちが集まり、女性たちは家の外に置かれた大きな鍋で何かを煮ています。
先生は、子供たちに「鍋で何を煮ているのか」と考えさせました。
すると、
「死んだお母さんを消毒している」
「死体を煮て骨にしている」
という趣旨の答えが出てきたのです。
しかも、ふざけていたわけではありません。
8つの班のうち5つの班が、話し合った末に「死体を煮る」という趣旨の結論を出したといいます。
詳しい授業の様子は、石井さんの記事で読むことができます。
私もこの話を知ったときは驚きました。
でも、少し考えてみると、別の疑問が浮かびます。
この子供たちは、本当に文章を「読めていなかった」のでしょうか。
昔の葬式を知らなければ、何を思い浮かべる?
昔は、自宅で葬式を行い、近所の人たちが集まって食事の準備をすることがありました。
そんな光景を知っている人なら、
葬式が行われている。
人が大勢集まっている。
女性たちが大きな鍋で何かを煮ている。
そこまで読めば、
「集まった人たちに出す料理を作っているんだな」
と、自然に想像するかもしれません。
でも、今の子供にとっての葬式はどうでしょう。
葬祭ホールで行われ、食事もそこで用意される。
家の前に大きなかまどを置き、近所の人たちが集まって料理をする光景など、一度も見たことがない子供も珍しくないでしょう。
だとすれば、大人には「当たり前」に思える解釈も、子供にとっては当たり前ではありません。
文章に書いてある文字は、同じです。
それなのに、頭の中にできあがる光景は違う。
なぜでしょう。
私たちは「文章だけ」を読んでいるわけではない
文章を理解するとき、私たちはそこに書かれた情報だけを使っているわけではありません。
それまでに知ったこと、見たこと、聞いたこと、経験したこと。
そうした頭の中にある知識も使いながら、文章の意味を組み立てています。
こうした、これまでに得た知識や経験がまとまり、物事を理解するときの枠組みとして働くものを、認知心理学では「スキーマ」と呼びます。
難しそうな言葉ですが、身近な例で考えてみましょう。
「夕立」を知っている、とはどういうこと?
長く子供たちに接していると、以前なら説明しなくても通じたように思う言葉でも、詳しく説明しないとイメージが浮かばない子供に出会うことがあります。
スタッフと話していて挙がった言葉の一つが、
「夕立」
でした。
「夕立って何?」
と聞かれて、
「夏に急に降る雨だよ」
と説明する。
これで辞書的な意味は伝わります。
でも、夕立を何度も経験している人なら、「夕立」という二文字から、
暑かった夏の午後。
急に空が暗くなる。
風が変わる。
大粒の雨がザーッと降ってくる。
しばらくすると雨が上がり、また空が明るくなる。
雨に冷やされた空気の中を、さっと涼しい風が通り抜ける。
そんな夏のひとときまで、浮かんでくるかもしれません。
言葉の意味を知っていることと、その言葉につながる世界を持っていることは、同じではありません。
物語を読むときにも、この違いが効いてくるのではないでしょうか。
でも、「経験が多ければ正しく読める」わけでもない
ここで、一つ注意が必要です。
では、いろいろな経験をさせれば、文章を正しく読めるようになるのか。
そんな単純な話ではありません。
背景知識は文章理解を助けますが、私たちがすでに持っている知識や思い込みが、文章の読み方に影響することもあります。
つまり、自分の経験だけで物語を決めつけてしまってもいけない。
だから、子供が、
「ごんは、こう思ったんや」
と言ったら、
「なるほど。なんでそう思たん?」
さらに、
「どこ読んで、そう思たん?」
と聞いてみる。
子供が答えたら、また少し問いかける。
これこそ、前の記事でお伝えした「小さなターン」です。
大人が正しい解釈をすぐ教えてしまうのではなく、短い言葉のやり取りを重ねながら、ときには一緒に文章へ戻る。
自分の知識や経験を使って想像する。
でも、想像だけで終わらず、本文へ戻って確かめる。
この行き来が大切なのだと思います。
※「小さなターン」については、前の記事「読めるのに分からない子供たち」で詳しく紹介しています。 ▶関連記事:読めるのに分からない子供たち ― 「読める」って、どういうこと?
子供に「いろいろ経験させなければ」と頑張りすぎなくていい
ここまで読むと、
「じゃあ、子供にもっといろいろな経験をさせなければ」
と思う方がいるかもしれません。
でも、忙しいご家庭に、また一つ宿題を増やしたいわけではありません。
背景知識を増やす方法は、旅行や自然体験だけではないからです。
本を読む。
家族と話す。
学校で習う。
写真を見る。
映像を見る。
知らない言葉について、誰かに教えてもらう。
そうしたことも、子供の中に少しずつ「世界」を増やしていきます。
だから、子供が、
「夕立って何?」
と聞いてきたら、
「夏に急に降る雨」
だけで終わらせず、
「ああ、この前、急にザーッと降ったやろ。あんなんや」
と一言足してみる。
それだけでも、言葉と経験がつながることがあります。
知らないことを責める必要はありません。
知らないなら、一つ世界を増やしてあげればいい。
文章から経験へ。経験から文章へ
子供が文章を読むとき、文字だけを追っているわけではありません。
それまでに知った言葉。
見たもの。
聞いた話。
実際に経験したこと。
そんなものを使いながら、文章から自分なりの世界をつくっています。
だから、知らない言葉に出会ったら、意味だけ教えて終わらせない。
できるときには、その向こうにある世界まで少し話してみる。
そして、子供が自分なりの解釈をしたら、
「なるほど。どこ読んで、そう思ったん?」
と、ときには文章へ戻ってみる。
経験から文章へ。文章から経験へ。
その行き来を重ねることも、「読む力」を育てていくのではないでしょうか。
この記事で紹介した研究・資料
Smith, R., Snow, P., Serry, T., & Hammond, L.(2021)
The Role of Background Knowledge in Reading Comprehension: A Critical Review
小学生年代の子供を対象とした23研究を検討し、背景知識と文章理解の関係をまとめたレビュー研究です。
あわせて読みたい

コメント