「先生、これ読んでええ?」
「ええよ」
授業前、一人の少年が本棚から一冊の本を取り出し、読み始めました。
しばらくすると、その子が泣きながら本を読んでいます。
そして、ついには声を上げて泣き出しました。
近くにいたスタッフも、お迎えに来ていたお母さんも、
「すごく物語に入り込んでいるんだな」
と感心していました。
私もそう思いました。
ところが、あとで本の内容について確かめてみると、様子が違いました。
その子は、本に出てきた「いじめ」という言葉に強く反応していたのです。
なぜ、その言葉にそれほど強く反応したのかは分かりません。
ただ、分かったことが一つありました。
その子は、本の内容そのものをほとんど理解していなかったのです。
本を読んでいる。言葉にも反応している。しかも、涙を流すほど感情まで動いている。
それでも、文章を理解しているとは限らない。
長年、子供たちの学びに関わってきた中でも、「読むって、いったい何だろう」と考えさせられた出来事の一つです。
「文字が読める」と「文章が分かる」は同じではない
私たちは「読める」という言葉を、ごく普通に使います。
「この漢字、読める?」
「ちゃんと問題を読んだ?」
「この本、一人で読める?」
ところが、この「読める」の中には、いくつもの力が含まれています。
文字を見て言葉として認識する。言葉の意味が分かる。「誰が」「何をした」のか、文の関係をつかむ。前の文と次の文をつなげる。そして、それらをまとめて文章全体の意味を組み立てる。
読解研究には、「読む」という働きを、文字や単語を読み取る力と、言葉を理解する力という二つの側面から捉える考え方があります。
「Simple View of Reading」と呼ばれるものです。
1990年にHooverとGoughが発表した研究では、読解を「decoding(文字を読み取ること)」と「linguistic comprehension(言語を理解すること)」という二つの要素から捉えています。
実際の読解には、さまざまな力が関わります。
それでも、
文字や単語を読めることと、文章を理解できることは同じではない。
ということを考えるには、分かりやすい考え方です。
あの日、本を読みながら泣いていた子も、少なくとも「いじめ」という言葉は読めていましたが、あとで内容を確かめてみると、文章全体の意味は十分につかめていませんでした。
「読めない」の中身は一つではない
文章を読むときには、「誰が何をしたのか」を捉える、指示語が何を指すのかを理解する、前後の文章から意味を推測するなど、いくつものことをしています。
こうした読み方を細かく見ようとするものの一つに、「リーディングスキルテスト(RST)」があります。
RSTでは、文章の構造を正しく捉えられるか、指示語が何を指しているか分かるか、意味の同じ文を見分けられるか、文章から推論できるか、といった観点から読解の力を見ます。
これは、教室で子供を見るときにも参考になります。
「分からない」と言っても、何が分からないのかは同じではありません。
「これをしたのは誰?」
「『それ』って何のこと?」
「どうして、こうなったんやろ?」
どこで止まっているのかが分かれば、次に何を手助けすればいいのかも見えてきます。
「この子は読解力がない」と一言で片づけるのではなく、どこで分からなくなったのかを見る。
私は、そこが大切だと考えています。
「何、書いとったん?」では難しすぎることもある
子供が本を読み終えたとします。
そこで、
「何、書いとったん?」
と聞く。
簡単な質問に見えますが、実はかなり難しいことを求めています。
文章全体を理解し、大事なところを選び、それを頭の中でまとめ、さらに自分の言葉にして説明しなければならないからです。
そこで答えられないと、
「ちゃんと読んでなかったんちゃう?」
と言いたくなるかもしれません。
でも、本当にそうでしょうか。
一度、問いを小さくしてみます。
「最初に誰が出てきた?」
「その子、何したん?」
「なんで、そうしたんやろ?」
「それ、どこに書いてある?」
一つ答えられたら、次へ進む。分からなくなったら、また文章へ戻る。
小さな問いと答えを重ねながら、子供と一緒に文章の意味を組み立てていくのです。
大きな質問を一つ投げて終わるのではなく、言葉のキャッチボールを続ける。
そうすると、子供がどこまで分かっていて、どこで止まっているのかも見えてきます。
答えを教える前に、「ここ読んでみ」
これは、国語読解問題の指導でも、私が大切にしてきたことです。
生徒が解答に行き詰まったり、やり直しの手が止まったりしても、すぐに答えを説明するとは限りません。
「ここ読んでみ」
と、まず文章の該当するところへ戻します。
それでも分からなければ、
「これ、誰のこと?」
「ここには何て書いてある?」
と、問いを小さくしていきます。
すると、
「あっ」
と自分で気づくことがあります。
分からないところを大人が説明してしまうのではなく、分かるところまで戻って、もう一度自分で文章をたどってもらう。
私は、そんな指導をしてきました。
大人が全部説明すれば、子供はその問題を解けるかもしれません。
でも、自分で文章に戻り、手がかりを見つけ、
「あ、分かった」
にたどり着く機会は少なくなります。
「読解力がない」と大きなくくりで見るのではなく、分かるところまで戻り、そこから少しずつ文章をたどっていく。
それが、子供を「自分で読める」方へ導く一つの方法だと考えています。
▶関連記事:「先生、でけへん」から始まる読む力の育て方|ロボット教室で見えた子供の成長
家庭を「読解力の訓練場」にしなくていい
では、家庭ではどうすればいいのでしょう。
難しい読解力トレーニングを始める必要はないと私は思います。
まして、忙しい毎日の中で、「子供が本を読むたびに、親子で内容について話し合いましょう」と言うつもりもありません。
今は共働きのご家庭も多く、平日は子供とゆっくり話す時間をつくることさえ難しいでしょう。
それなら、週末だけでもいい。
「今週、なんか本読んだ?」
そんな一言から始めてみる。
子供が話し始めたら、
「誰が出てきたん?」
「へぇ、そんなことしたん」
「それで?」
「なんでやろなぁ?」
と、少しだけ話を続けてみる。
分からなくなったら、
「そんなこと書いてあった? 一緒に見てみよか」
と本へ戻ってみる。
大切なのは、正解を言わせることではありません。
本について話すこと、親子で言葉を交わすこと自体を楽しむ。
質問攻めになったら、楽しい読書もテストになってしまいます。
子供が話し、親がそれを聞く。少し尋ねて、また話す。
毎日でなくても、時間に余裕があるときでいい。
私は、そのくらいでいいと思っています。
「読めない」で終わらせない
本を読んでいる。音読もできる。知っている言葉には反応できる。
それでも、文章を理解できているとは限りません。
だから、子供が「分からない」と言ったとき、
「ちゃんと読みなさい」
だけで終わらせない。
すぐに答えを教えるのでもない。
どこまで分かっているのか。
一緒に少しずつ確かめてみる。
分かるところまで戻り、もう一度文章をたどっていけば、「読めない」と思っていた子供が、自分の力で次の一文へ進めることがあります。
そして、もう一つ。
文章を正確に読めれば、それですべて理解できるのでしょうか。
どうも、そう簡単でもなさそうです。
文章に書かれていることを理解するには、その子がそれまでに身につけてきた知識や経験も関わってきます。
そのことを考えるのに、とても興味深い題材があります。
国語の教科書でもおなじみの『ごんぎつね』です。
これは、次の記事で考えてみたいと思います。
▶関連記事:「ごんぎつね問題」が教えてくれること ― 同じ文章を読んでも、なぜ理解が違うのか?
この記事を書くにあたって参考にした研究・資料
Hoover WA, Gough PB
The Simple View of Reading.
Reading and Writing, 1990.
→ Springer Nature


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