「名前が出てこない」は脳の衰え?シニアの脳は何歳から変わるのか
ロボット教室の体験会で、保護者の方々に子供の脳の発達について説明する時間があります。
対象となる5歳から小学6年生ごろは、さまざまな認知機能が発達していく時期です。
そこで以前の私は、子供の脳の話と対比させるために、大人の脳についてこんな説明をしていました。
「30歳くらいからは、脳の衰えも目立つようになります。私もこの前……」
ここから自虐ネタです。
家でテレビを見ていて、俳優の名前がどうしても出てこない。
家内に、
「この俳優、誰やった?」
と聞くと、
「エッ!? トム・クルーズやん」
――という話です。
少しくらい笑ってもらえると思っていました。
ところが、参加していた若い保護者の方々はポカン。
どうも、トム・クルーズ自体がピンときていない。
体験会終了後の作戦会議です。
「トム・クルーズはアカンな」
そこで、石原さとみに交代。
ポカン率はかなり下がりました。
しかし、まだ一部の保護者には響かない。
再び作戦会議。
ああでもない、こうでもないと候補を挙げ、最終的に選ばれたのが上戸彩でした。
さすが上戸彩。
ポカン率は、私の感覚では5%未満。
こうして「名前が出てこない」という、年齢とともに増えやすい度忘れを説明するための配役は決まりました。
ただ、今になって考えると、問題は俳優選びだけではありません。
「30歳くらいから脳が衰える」
私は長い間、そんな説明をしてきました。
でも、本当に脳は30歳あたりを境に、坂道を転げ落ちるように衰えていくのでしょうか。
「30歳から脳が衰える」とは簡単に言えない
そもそも、「脳の衰え」という言葉が大ざっぱすぎます。
私たちが普段「頭の働き」と呼んでいるものには、
- 情報を素早く処理する
- 覚える
- 思い出す
- 注意を向ける
- 言葉を理解する
- 問題を解く
- 経験や知識を使って判断する
など、さまざまな能力が含まれています。
そして、これらがすべて同じ年齢でピークを迎え、一斉に低下するわけではありません。
約4万8500人のオンライン参加者のデータなどを分析した研究では、認知能力によって高い水準を示す年齢がかなり異なることが報告されています。
比較的若いうちにピークを迎えるものもあれば、30代まで高い水準を保つもの、40代以降にピークを迎えるものもありました。
つまり、
「脳は○歳から衰える」
と一本の線を引くこと自体に無理があります。
今なら体験会でも、
「年齢とともに変化しやすい能力はあります。でも、脳の働き全部が30歳から一斉に衰えるわけではありません」
と説明するでしょう。
年齢の影響を受けやすい能力はある
健康な加齢でも、認知機能にはさまざまな変化がみられます。
2025年に発表されたシステマティックレビューでは、健康な成人を対象とした265の研究が検討されました。
その結果、加齢による変化は一様ではなく、新しい情報を扱ったり問題を解いたりする流動性能力や、意識的に覚えて思い出す学習・記憶などでは低下が比較的目立つ一方、蓄積された知識などに関わる結晶性能力には、比較的安定した側面があることが報告されています。
若いころと同じようにはいかない部分が出てくる。
これは確かです。
一方で、年齢による変化のしかたは、認知機能によって違います。
新しい情報を素早く扱う力などは年齢の影響を受けやすい一方、長く生きてきた中で蓄積された知識や経験は、比較的保たれやすい。
歳を取ると、すべての認知能力が同じように低下していくわけではないのです。
「顔は分かるのに名前が出てこない」はなぜ?
では、私が体験会でネタにしてきた、
「顔は分かっている。でも名前が出てこない」
という現象はどうでしょう。
「あの人や、あの人」
「ほら、あの映画に出てた……」
顔も、その人が何をしている人なのかも分かっている。
ところが名前だけが出てこない。
こうした「知っているのに、その言葉が出てこない」状態は、英語では tip-of-the-tongue、日本語では「舌先現象」などと呼ばれています。
研究でも、こうした言葉の取り出しにくさは加齢に伴って増えることがあり、とくに人名のような固有名詞は影響を受けやすいことが報告されています。
「その人について何も分からなくなった」ことと、「名前だけが出てこない」ことは同じではありません。
顔を見て、
「俳優や」
「アメリカの人や」
「『トップガン』に出てた人や」
そこまで出ているのに、
「……誰やった?」
となる。
情報そのものが全部消えてしまったというより、知っている情報の中から、その名前をうまく取り出せない。
少なくとも、こうした人名の取り出しにくさ自体は、健康な加齢でもみられます。
上戸彩が出てこなくなったからといって、それだけで「脳全体が衰えた」と考える必要はありません。
「忘れる」と「認知症」は同じではない
ここは、シニア世代には気になるところでしょう。
「最近、人の名前が出てこない」
「物をどこに置いたか忘れる」
そんなことが続くと、
「これって認知症の始まりちゃうん?」
と心配になることがあります。
ただ、健康な加齢に伴う物忘れと認知症を、同じものとして扱うことはできません。
人の名前がすぐに出てこない、といった変化は健康な人にも起こります。
一方で、物忘れなどの変化が強くなり、日常生活に支障が出ている場合などには、「歳のせい」と自己判断せず、医療機関へ相談することも大切です。
この記事で扱っているのは、あくまで健康な加齢に伴って起こりうる認知機能の変化です。
シニアの脳は「衰える一方」でもない
年齢とともに変化しやすい認知機能がある一方、高齢になっても学習する力がすべて失われるわけではありません。
高齢者を対象とした認知トレーニングの研究では、練習した課題そのものでは成績が改善することが確認されています。
では、練習を続ければ、シニアの脳はどこまで変わるのでしょうか。
ちょうど最近、同世代の知人から気になる話を聞きました。
「最近、計算が速くなった気がする」
ある時期から仕事で数字を扱うことが一気に増え、毎日のように計算するようになったそうです。
すると、
「最近、前より計算が速くなった気がする」
と言うのです。
歳を取れば脳は衰えていく。
もし、それだけなら、少し不思議な話です。
高齢になっても学習する力が残っているのなら、
毎日のように計算することで、本当に計算が速くなることはあるのでしょうか。
そして、もし速くなったとして、
それは「脳が若返った」ということなのでしょうか。
この二つは、分けて考えた方がよさそうです。
次回は、
「シニアの脳は鍛えられるのか?」
を考えてみます。
実は私自身も、書けなくなった漢字を手書きしたり、なかなか覚えられない長い固有名詞を覚えたりしています。
「セルゲイ・ラフマニノフ」
「サヘラントロプス・チャデンシス」
「ウルズラ・フォン・デア・ライエン」
「バブ・エル・マンデブ海峡」
こんなものを覚えて、本当に脳のためになっているのか。
次回は、自分の実践も俎上に載せて調べてみましょう。
▶関連記事:シニアの脳は鍛えられる?「計算が速くなった」から考える本当に大切な脳の使い方
この記事で参考にした研究・資料
Hartshorne JK, Germine LT
When Does Cognitive Functioning Peak? The Asynchronous Rise and Fall of Different Cognitive Abilities Across the Life Span.
Psychological Science, 2015.
→ PubMed
Privitera AJ, Ng SHS, Chen SHA
Cognitive and neural mechanisms of learning and interventions for improvement across the adult lifespan: A systematic review.
Neuroscience & Biobehavioral Reviews, 2025.
→ PubMed
Evrard M
Ageing and lexical access to common and proper names in picture naming.
Brain and Language, 2002.
→ PubMed
Nguyen L, Murphy K, Andrews G
Cognitive and neural plasticity in old age: A systematic review of evidence from executive functions cognitive training.
Ageing Research Reviews, 2019.
→ PubMed
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