ハリハリ隊、出動します。
報酬系は今回はベンチ待機(笑)。「冒険心」のないないチームを退場させ、2本目の研究も原著の書誌情報まで確認しました。Hedrickらの研究は、母子89組を対象に、母親のWh疑問文などを含む共同会話と、その後の子供の出来事の記憶・語りとの関連を調べたものです。本文の使い方で大丈夫です。PubMed Central (PMC)
「前の子と、おんなじ」から、もう一歩――自分の言葉で話す小さな冒険|語らない子供たち③
高校生の授業で使った英文に、copy cat という言葉が出てきました。
人のまねばかりする人、というような意味です。
その翌日、理科実験教室の体験授業がありました。
それなりに楽しい演出もして、子供たちも盛り上がり、無事に終了。
最後に、参加した小学生たちに感想を聞いてみました。
最初の子は、
「○○してびっくりしたけど、楽しかった」
と、自分の感想を話してくれました。
ところが、二番目の子は、
「それとおんなじ」
三番目の子も、
「おんなじ」
前日にたまたまcopy catという言葉を扱ったばかりだったこともあって、私は少し残念に思いました。
2011年のこと。コラムには、こう書いています。
「『前の子と、おんなじ』ではつまらん。」
あれから15年。
この「つまらん」の中に、自分が何を感じていたのか。
改めて考えてみたくなりました。
なぜ「おんなじ」だったのだろう
もちろん、子供たちに「つまらん」と言ったわけではありません。
当時のコラムでも、なぜ「おんなじ」という答えになったのか、いくつかの可能性を考えています。
人前で意見を述べることに慣れていなかったのかもしれない。
自信がなかったのかもしれない。
恥ずかしかったのかもしれない。
自分の感じたことはあっても、うまく言葉にできなかったのかもしれない。
本当に前の子と同じ感想だった可能性だってあります。
だから、「おんなじ」という一言だけで、その子が何を考えていたのかまでは分かりません。
それでも私は、
「前の子と、おんなじではつまらん」
と思いました。
なぜだったのでしょう。
「おんなじ」から、もう一歩
同じ2011年、4歳児の「同調」について興味深い研究が発表されています。
実験では、ほかの子供たちがそろって誤った答えをすると、自分では別の判断をしていても、人前では周囲に合わせる子供がいました。
さらに調べると、周りと同じ答えを口にしたからといって、本人の判断そのものまで変わったとは限らないことも示されました。PubMed
もちろん、実験室で行われたこの研究と、私の理科実験教室での出来事をそのまま重ねることはできません。
ただ、この研究を知って、改めて思うことがあります。
自分の中にあるものと、それを人前で言葉にすることは、同じではない。
前の子が一つの答えを言った。
次は自分の番。
同じことを言えば簡単です。
違うことを言えば、みんなの視線がこちらへ向くかもしれません。
大人にはほんの一言でも、子供にとっては、小さな勇気が必要な場面だったのかもしれません。
だからこそ私は、「おんなじ」で終わらず、もう一歩出てみてほしかったのだと思います。
「考える、言葉にする」
2011年のコラムには、こんな一文もあります。
「考える、言葉にする。」
これは15年たった今でも、そのまま残したいと思います。
人と違うことを言えばいい、という意味ではありません。
本当に同じなら、同じでいい。
でも、
「僕も楽しかった」
だけでなく、
「僕も楽しかった。○○したところが面白かった」
まで言えたら、そこにはその子自身が見えてきます。
うまい言葉でなくてもいい。
ちょっと考えて、自分の中にあるものを探して、それを自分なりに言葉にしてみる。
私は、そういう経験を子供たちにたくさんしてほしいと思っています。
大人は、答えを言わずに少し手伝う
では、「おんなじ」と答えた子に、
「自分の意見をちゃんと言いなさい」
と言えばいいのでしょうか。
それでは、なかなか難しいでしょう。
2011年の私は、
「小さいうちは言語化に手間取るので、いろんな表現を例示して応援してあげましょう。」
と書いています。
これも、今でも大切だと思います。
ただ、今ならその前に、もう一つ加えます。
少し待ってみる。
そして、
「そうか。どのへんがおんなじ?」
「ほかにも面白かったところ、あった?」
と、少しだけ聞いてみる。
親子が経験した出来事について話す研究では、「はい」「いいえ」だけで終わらない問いを使ったり、子供が話した内容を受けてさらに問いかけたりする大人の関わりが、子供自身が経験を詳しく語ることを支えることが報告されています。PubMed Central (PMC)
それでも言葉が出てこなければ、
「びっくりした?」
「もう一回やってみたい?」
など、少し答えやすい言葉を出してもいいでしょう。
大人が代わりに答えを作るのではなく、子供自身が言葉を見つけるための足場を少しだけ作る。
「待つ」か「教える」か。
どちらか一つではなさそうです。
子供の様子を見ながら、待ったり、聞いたり、必要なら少し手伝ったりする。
私は、そんな関わり方がいいと思っています。
「精一杯、応えてみる」という経験
そして、2011年のコラムを読み返していて、もう一つ残したいと思ったところがあります。
当時の私は、
「一番不足しているのは、相手に求められれば、精一杯、対応しようとする習慣と、それを楽しいと感じる経験」
と書いていました。
「一番不足している」とまで言い切れるかどうかは、今なら少し慎重になります。
でも、後半に込めた思いは変わっていません。
誰かから、
「どうだった?」
と聞かれた。
ちょっと面倒くさい。
人前で話すのは恥ずかしい。
何を言えばいいのか、すぐには思いつかない。
それでも、
「じゃあ、自分なりに答えてみよう」
と少し頑張ってみる。
これは、相手の問いにきちんと向き合おうとする姿勢でもあります。
そして、自分なりに言ってみたら、
「へえ、そこが面白かったんや」
と相手が聞いてくれた。
そこから話が広がった。
そんな経験があれば、
「言ってみたら、ちゃんと伝わった」
という小さな成功になります。
私は、こういう経験も子供たちにたくさん味わってほしいのです。
小さな「やってみよう」から、冒険心へ
これは、感想を上手に言えるようになるためだけの話ではありません。
できるかどうか分からない。
うまくいくかどうかも分からない。
ちょっと恥ずかしい。
でも、
「やってみようか」
と一歩出てみる。
そして、やってみたら案外できた。
私は、そんな小さな経験の積み重ねが、いつか少し難しそうなこと、新しいことにも向かってみる姿につながってほしいと思っています。
大げさに言えば、ちょっとした冒険心です。
子供のころに、
「できるか分からんけど、やってみよう」
「うまく言えるか分からんけど、言ってみよう」
そんな一歩を何度も経験することは、大切ではないでしょうか。
その一歩を、大人が全部代わりにやってしまわない。
でも、一人では難しそうなら少し支える。
その加減を考えることも、私たち大人の役割なのだと思います。
15年前の「語ろう」を、今もう一度
「語らない子供たち」の①では、何も言わずにロボットを差し出す子供たちについて書きました。
▶関連記事:「……。」何も言わない子が伝えたかったこと|語らない子供たち ①
②では、「大丈夫です」と言いながら、一人で抱え込む子供たちについて考えました。
▶関連記事:「大丈夫です」と「ここ、アカンねん」――子供をいつ、どこまで助ける?|語らない子供たち②
そして今回は、
「前の子と、おんなじ」
です。
三つに共通しているのは、大人が言葉だけを見て、子供の中まで分かったつもりにならないこと。
でも、そこで終わりではありません。
子供が自分で考える。
自分の言葉を探す。
必要なら、助けを求める。
そして、自分なりに一歩出てみる。
大人は、その一歩が出てくる余白を残しながら、必要なときには少し手伝う。
2011年のコラムを、私はこう締めくくっていました。
「そう、語ってあげましょう。豊かなコミュニケーションが心と頭を育みますよ。」
15年後の今も、大筋では同じことを考えています。
ただ、少し付け加えるなら――。
大人が語るだけではなく、子供自身が語ってみる。
その小さな挑戦も、一緒に楽しめる大人でありたいと思います。
この記事で紹介した研究・資料
Haun DBM, Tomasello M
Conformity to Peer Pressure in Preschool Children.
Child Development, 2011, 82(6), 1759–1767. PubMed
→ PubMed
Hedrick AM, San Souci P, Haden CA, Ornstein PA
Mother–Child Joint Conversational Exchanges During Events: Linkages to Children’s Memory Reports Over Time.
Journal of Cognition and Development, 2009, 10(3), 143–161. PubMed Central (PMC)
→ PubMed Central


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