休日の朝、何気なく見ていたワイドショーで、「河鍋暁斎展」が神戸市立博物館で開催されていることを知りました。
河鍋暁斎?
初めて聞く名前です。
でも、画面に映った作品を見た瞬間、手が止まりました。
「なんや、この絵」
浮世絵とも違う。日本画とも違う。どこかユーモラスで、それでいて迫力がある。
「これは本物を見てみたい」
そう思って、神戸市立博物館へ向かいました。
展示室に入る前から「おぉ。」
博物館に着くと、入口でいきなり地獄太夫がお出迎えです。
「おぉ。」
まだ展示室にも入っていないのに、もうワクワクしています。
そして展示室へ入ると、そのワクワクは一気に大きくなりました。
《地獄太夫と一休》。
豪華な着物をまとった地獄太夫。飄々とした一休。足元には髑髏。
「えっ?」
「これ、一人で描いたん?」
人物ごとに、まるで別々の画家が描いたようにも見えます。それなのに、一枚の絵として不思議なくらい調和しています。
「こんな描き方があるんや」
知らなかった画家の、知らなかった表現。
テレビを見ていた数時間前まで、河鍋暁斎という名前すら知らなかったのです。それが今、本物の作品を目の前にして驚いている。なんだか、それだけで楽しくなってきました。
※気になる方は、展覧会の公式動画へ。
「こんな表現もあるんや」
次に目を奪われたのは、《鐘馗騎象図》。
赤一色。
それだけなのに、象の重さも、鐘馗の迫力も、小鬼たちの動きも伝わってきます。
「へぇ……。こんな表現もあるんや」
また一つ、知らない世界に出会いました。
さらに会場で知ったのが、この展覧会では日本国内の展覧会で初出品となる作品が数多く展示されているということでした。実際、《鐘馗騎象図》もその一つです。神戸市立博物館
「なんや、それ、先に言うてぇな(笑)」
そんなことを知ると、作品を見る気分まで少し変わります。
今日は、たまたま博物館へ来ただけではない。今まで日本国内の展覧会では見る機会のなかった作品にも出会えている。
そう思うと、一枚一枚をもう少しじっくり見たくなりました。
「まだ、こんな画家がおったんや」
この日、嬉しかったことは二つありました。
一つは、河鍋暁斎という、とんでもない画家に出会えたことです。
私は美術館へ行くのが好きです。美術書も読みますし、原田マハさんの小説もよく読みます。浮世絵や伊藤若冲に夢中になった時期もありました。
それでも、河鍋暁斎は知りませんでした。
「まだ、こんな画家がおったんや」
その発見だけでも十分に幸せです。
でも、本当に嬉しかったのは、もう一つの方でした。
「知らない」は、けっこう楽しい
まだ知らない世界が、こんなにも残っていたこと。
若い頃は、「知らない」ということを、どこか恥ずかしく感じていました。でも、今は違います。
知らないから、驚ける。
知らないから、感動できる。
知らないから、世界が広がる。
そう思うと、「知らない」ということが、何だか嬉しくなってきます。
これは、子供たちを見ていても感じてきたことです。
「先生、これ何?」
「なんで?」
「どうなってるん?」
知らないものに出会ったとき、子供はよくこんな言葉を口にします。
何にでも興味を持つわけではありません。大人だって同じです。
でも、知らなかったものにふと引っかかり、
「なんや、これ?」
と足を止める。
そこから調べたり、見に行ったり、誰かに聞いたりする。そうやって、それまで自分の中になかったものが一つ増えていく。
私は、そんなことも「学ぶ」の一つだと思っています。
博物館を出ても、神戸の街は同じだった
博物館を出ると、神戸の街は何も変わっていませんでした。朝と同じ街です。
でも、私の世界は少し広がっていました。
河鍋暁斎という画家を一人知った。
そして、それ以上に、
「まだまだ知らない世界が残っている」
そのこと自体が、何だか嬉しかったのです。
昨日まで知らなかったものに出会えば、今日から見えるものが一つ増える。
そう考えると、「知らない」ことも悪くありません。むしろ、まだまだ楽しめそうです。
次は、どんな「へぇ!」に出会えるでしょう。
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