買い物のついでに、家内と須磨パティオの中庭をお散歩。
初夏になると、木々は新緑から深緑へと少しずつ表情を変えていきます。その日、一本の木が目に留まりました。
薄緑色の小さな花が、枝いっぱいに咲いています。
「この木花、なんていう名前?」
スマートフォンを取り出し、Google画像検索を使ってみました。画面には「シマトネリコ」と表示されました。
「シマトネリコやん」
そう言うと、横を歩いていた家内が、
「え? 私が昨日調べたら、ニセアカシアやったよ。あの木やけど」
と、中庭の反対側にある木を指さしました。
「なんや、あっちの木か」
二人で顔を見合わせて笑いました。
十年前にも、名前の分からない木花があった
そのとき、十年ほど前の出来事を思い出しました。
あの頃も、私は一つの木花の名前が気になっていました。道路沿いの山や里山、街路樹にも咲いている薄緑色の小さな花です。
図鑑を何冊めくっても分からない。インターネットで調べても、それらしい木は見つかるのですが、「これだ」と確信が持てません。
そんなある日、高校の後輩で樹木医をしている友人がFacebookにこんな投稿をしていました。
「梅雨の中休み。トウネズミモチの花が元気過ぎます。」
「これや!」
思わず声が出ました。十日近く気になっていた木花の名前が、ようやく分かった瞬間でした。
名前が分かると、不思議なものです。
中国原産だから「トウ」。
実がネズミのふんに似ているから「ネズミ」。
葉がモチノキに似ているから「モチ」。
それまで何となく見ていただけの木が、一つの物語を持ち始めました。
花の香りが気になり、モクセイ科であることを知り、街で見かけるたびに目が止まるようになりました。
たった一つ名前を知っただけなのに、世界が少し広がったような気がして、ちょっと嬉しくなりました。
調べ方は変わっても、「分かった!」は嬉しい
便利な時代になりました。
十年前は、図鑑を何冊もめくり、インターネットで調べ、それでも分からず、最後は後輩のFacebook投稿で、ようやく「トウネズミモチ」にたどり着きました。
今回は、その場でGoogle画像検索。ほんの数秒です。
科学技術の進歩を、こんな何気ないところでも楽しめるようになったことも、とても幸せなことだと思います。
でも、便利になっても変わらないものがあります。
「分かった!」ときの嬉しさです。
そういえば、教室でも何度も見てきました。
難しい顔をしていた子が、
「あっ、分かった!」
と笑顔になる。さっきまで止まっていた手が動き出し、
「次もやる」
と、自分から取り組み始めることもあります。
花の名前が分かって喜んでいるオヤジと一緒にするな、と子供たちには怒られそうですが(笑)、私はあの瞬間が好きでした。
「分からない」が「分かった」に変わる。知らなかったことを一つ知る。
それだけで、見えているものが少し変わることがあります。
「すぐ先生に聞いたらあかんで」
教室でも、子供たちによく言っていました。
「すぐ先生に聞いたらあかんで」
「まず、自分で調べてみ」
「調べ方は教えるでぇ」
「それでも分からんかったら、一緒に考えよう」
今なら、Google画像検索のように、ほんの数秒で答えにたどり着けることもあります。もちろん、便利なものは使えばいい。私だって使っています。
でも、早く答えにたどり着くことだけが、学ぶことではない 、と私は思っています。
どこを見ればいいのか。何と何を比べればいいのか。どう調べればいいのか。
まず、自分で考えてみる。分からなければ、調べてみる。それでも分からなければ、誰かに聞く。
その過程も含めて「知る」ことだと思うのです。
十年前、私はトウネズミモチの名前を知るまで十日近くかかりました。効率だけを考えれば、ずいぶん遠回りです。
それでも、今、「トウネズミモチ」という名前はしっかり覚えています。
名前を一つ知ると、昨日までの景色が変わる
私は、子供たちに何でも知っていてほしいとは思いません。
知らないことがあるのは当たり前です。大人だって同じです。
でも、
「これ、なんやろ?」
と思ったときに、ちょっと調べてみる。そして、
「へぇ、そうなんや」
と思える。
そんな経験が一つ増えると、それまで何となく通り過ぎていたものが、少し違って見えることがあります。
私にとって、トウネズミモチがそうでした。
名前を知らなかった頃には、ただの「薄緑色の花が咲く木」でした。名前を知ったあとでは、街で見つけると、
「あ、トウネズミモチや」
と目が止まります。
昨日まで背景だったものが、今日は一つの存在として見えてくる。
これも、学ぶことのおもしろさの一つではないでしょうか。
知らなかったことを知る。できなかったことができる。昨日まで見えていなかったものが見えるようになる。
世界が少し広がること自体が、学ぶおもしろさになることがあります。
そして、それは子供だけではありません。
ジジィになっても、木花の名前を一つ覚えるだけで、世界は少し広がります。
来年も、この花が咲いたら足を止めるでしょう。そして、名前を思い出せたら、ちょっと嬉しい。
もし、忘れていたら、またGoogle画像検索のお世話になります。
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